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@野路由紀子 うたう小倉百人一首(歌集別区分(古今和歌集(その19 坂上是則)))
古今和歌集 二十四首 5. 奥山にもみぢ踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき   猿丸太夫 7. あまの原ふりさけ見ればかすがなるみ笠の山にいでし月かも     安倍仲麻呂 8. わが庵は都のたつみしかぞ住む世を宇治山と人は言ふなり        喜撰法師 9. 花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに       小野小町 11. わたの原八十島かけて漕ぎいでぬと人には告げよあまの釣舟    参議(小野)篁 12. あまつ風雲のかよひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ       僧正遍昭 14. みちのくの忍ぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにしわれならなくに    河原左大臣(源融) 15. 君がため春の野にいでて若菜摘むわがころも手に雪は降りつつ       光孝天皇 16. 立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かばいざ帰り来む    中納言(在原)行平 17. ちはやふる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは     在原業平朝臣 18. すみの江の岸による波よるさへや夢のかよひ路人目よくらむ     藤原敏行朝臣 21. 今来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ちいでつるかな                      素性法師 22. 吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐と言ふらむ                       文屋康秀 23. 月見ればちぢにものこそ悲しけれわが身ひとつの秋にはあらねど                    大江千里 24. このたびはぬさも取りあへずたむけ山 もみぢのにしき神のまにまに                菅家(菅原道真) 28. 山里は冬ぞ寂しさまさりける人目も草もかれぬと思へば                       源宗干朝臣 29. 心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花                       凡河内躬恒 30. 有明のつれなく見えし別れより暁ばかりうきものはなし                       壬生忠岑 31. 朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪                    坂上是則 32. 山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬもみぢなりけり                 春道列樹 33. ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ                  紀友則 34. たれをかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに                 藤原興風 35. 人はいさ心も知らずふる里は花ぞ昔の香に匂(にほ)ひける                紀貫之 36. 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ               清原深養父 小倉百人一首   歌集別分類 1 古今和歌集 二十四首 2 後撰和歌集    七首 3 拾遺和歌集   十首 4 後拾遺和歌集 十四首 5 金葉和歌集 五首 6 詞花和歌集 五首 7 千載和歌集 十五首 8 新古今和歌集 十四首 9 新勅撰和歌集 四首 10 続後撰和歌集 二首 合計      百首 【古今和歌集とは】 醍醐天皇の詔により撰ばれた最初の勅撰和歌集。略称は《古今集》。20巻。古今とは〈いにしえ〉〈いま〉の歌の集の意と,後世の人々が,和歌が勅撰された延喜の時代をいにしえの和歌の聖代と仰ぎ見るであろう,の意を兼ねる。流布本では巻首に仮名序,巻尾に真名(まな)序を付し,歌数は1100首)。分類は春,夏,秋,冬,賀,離別,羈旅(きりよ),物名,恋,哀傷,雑,雑体(長歌,旋頭歌,誹諧),大歌所御歌とする。 最初の勅撰和歌集。八代集の第一。20巻。延喜5年(905)の醍醐天皇の命により、紀貫之(きのつらゆき)・紀友則(きのとものり)・凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)・壬生忠岑(みぶのただみね)が撰し、同13年ころ成立。六歌仙・撰者らの歌約1100首を収め、仮名序・真名序が添えられている。歌風は、雄健でおおらかな万葉集に比べ、優美・繊細で理知的。 31番 坂上是則 31. 朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪            坂上是則 現代語訳 夜が明ける頃あたりを見てみると、まるで有明の月が照らしているのかと思うほどに、吉野の里には白雪が降り積もっているではないか。 坂上是則(さかのうえのこれのり/?~930)は醍醐天皇、朱雀天皇の頃の人で、坂上田村麿の四代目の孫にあたると言われています。三十六歌仙の一人として藤原公任が挙げている優れた歌人で、和歌のほか、蹴鞠も上手だったと伝えられています。また、坂上是則は延長三年には加賀介に任ぜられています。  この和歌は、職務で吉野へ出かけた是則が、見事な白雪を見て詠んだといわれていて、素直な自然への驚きが表されています。 作者は従四位上右馬頭好蔭の子。征夷大将軍坂上田村麻呂の子孫とも言う(続群書類従所収の「坂上系図」)。後撰集の撰者望城の父。大和権少掾・同権掾・少監物・中監物・少内記・大内記をへて、延長二年(924)正月、従五位下に叙せられ加賀介に任ぜられた。  歌人としては、寛平五年(893)頃の后宮歌合をはじめ、延喜七年(907)の大井川行幸、同十三年の亭子院歌合など晴の舞台で活躍した。蹴鞠の名手でもあったという。三十六歌仙の一人。勅撰入集は四十三首。百人秀歌では29番となり、30番の大江千里「月見れば」と対になる。 【他の代表歌】  み吉野の山の白雪つもるらしふるさとさむくなりまさるなり(古今集)  山がつと人はいへどもほととぎすまつ初声は我のみぞきく(拾遺集) 平安時代の歌人。坂上田村麻呂の子孫,好蔭の子。大和権少掾,少監物,中監物,少内記,大内記,加賀介などを歴任。従五位下に至る。延喜1(901)年の紀師匠曲水宴和歌や同5年の右大将定国四十賀屏風歌に紀貫之,凡河内躬恒らと共に詠進して歌壇にデビュー。『古今集』には新進歌人として8首の入集をみた。その後も,同7年の『大井河行幸和歌』や同13年の亭子院歌合に出詠するなど活躍。家集に『是則集』がある。のちに三十六歌仙に選ばれるなど後世の評価も高く代表作「あさぼらけ有明の月とみるまでによしのの里にふれる白雪」が百人一首にとられている。

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This video was published on 2018-06-23 13:56:00 GMT by @imogarabokuto1250 on Youtube. imogarabokuto1250 has total 59.6K subscribers on Youtube and has a total of 1.2K video.This video has received 2 Likes which are lower than the average likes that imogarabokuto1250 gets . @imogarabokuto1250 receives an average views of 1.4K per video on Youtube.This video has received 0 comments which are lower than the average comments that imogarabokuto1250 gets . Overall the views for this video was lower than the average for the profile.

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